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町の概要

時津町のあゆみ

道しるべ 
長崎方面・長与方面を矢印で刻む「道しるべ」

  時津町の起源は、はっきりはしませんが、鎌倉時代には「時津」と呼ばれていたようです。
 
  中世の開発時代起源には、荘官あるいは地頭として時津氏一族が活躍し、少なくとも室町時代には大村領に属していたようです。また、大村氏が、中岳城の一戦に敗北して、一時期、有馬氏に領されたこともありました。
 
  明治に入り、廃藩置県により長崎県に属し、明治5年には、時津村・西時津村・日並村の3村が合併し、時津村となりました。また、同年区制の実施により、第15大区3小区に改められました。さらに明治12年7月、郡制が施かれ西彼杵郡に属し、同22年4月1日の町村制施行と同時に、菊池平一氏が初代村長に就任しました。
 
  昭和に入り、昭和26年12月1日 に町制を施行し、時津町と称するとともに第12代村長の横山貞雄氏が初代町長となりました。
 
  町制施行後は、昭和34年1月15日に子々川郷が本町に編入され、昭和48年4月1日に本町域だった横尾地区が長崎市に編入されました。また、昭和37年、都市計画区域の指定を受け、さらに昭和44年、新都市計画区域の指定を受けました。このころから人口が急激に増加しはじめ、また、昭和41年8月からの時津臨海工業地域として埋立事業と工業の誘致により、中小企業の町としての性格も有するようになりました。
 
  近年では、郊外型商業施設の出店も多く、交通の要衝として、また、人や物の交流が盛んな町として発展し、現在に至っています。
 
  人口(平成22年国勢調査):30,110人
 
  世帯数(同):10,787世帯
 
  面積(平成26年10月1日現在):20.94平方キロメートル

時津町の位置

九州

《東端》大園:東経129°52’13”

《北端》黒島:北緯32°53’17”

《西端》登路福:東経129°47’10”

《南端》打坂:北緯32°48’37”



  時津町は長崎市の北部と西彼杵半島の接点に位置し、町の西側から南側にかけて長崎市の琴海・三重・横尾・滑石地区に相接し、東側は長与町、北側は波静かな大村湾の南端部に接している。町全体の輪郭は北西から南東へL字型に伸び、東西約7キロメートル、南北約9キロメートル、面積20.94平方キロメートルの町である。

●長崎県時津町役場
〒851-2198長崎県西彼杵郡時津町浦郷274-1
TEL.095-882-2211・FAX.095-882-9293

町民憲章

町民憲章
 記念碑(崎野自然公園入口)

私たちは、緑と青い海のふるさと時津を愛し、町民としての誇りをもって、この憲章を定めます。
 
 一.魅力ある快適な町をつくります
 
 一.心をあわせきれいな町をつくります
 
 一.笑顔でゆとりのある町をつくります
 
 一.心の豊かさをはぐくむ文化の町をつくります
 
 一.活気に満ちた産業の町をつくります

町章

町章
町章

  昭和26年12月1日町制施行の際、募集制定したものです。右側の一部がきれた円形は大村湾を表し、逆三角形の先端が湾奥にある時津町の位置をさしています。また、全体の図形で時津町の頭文字「と」をかたどっています。





町木「くすの木」

町木「くすの木」
町木「くすの木」

  くすの木は、親しみのある風情と、成木期には大木になるところから、青少年が威風堂々と成長するようにとの願いが込められています。(平成元年7月1日制定)









町花「コスモス」

町花「コスモス」
町花「コスモス」

  コスモスは、手軽に育てられる美しい花です。花言葉「調和・秩序」にちなみ、町繁栄への願いが込められています。(平成元年7月1日制定)









町イメージキャラクター・イラスト

町イメージキャラクター・イラスト
町イメージキャラクター・イラスト

  町制施行50周年を記念して、募集決定(平成13年3月)したものです。町花「コスモス」を持つ、「と」をベースにした元気な子どもをイメージさせるのがイメージキャラクターです。イメージイラストは、「と・ぎ・つ」の文字「つ」を無限大(∞)で組み合わせ、21世紀に力強く飛翔発展する勇姿を象徴しています。


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