時津街道
時津街道の歴史をひもとけば、古くて新しいまちの姿が浮かび上がります。
江戸時代の長崎は、外国に開かれた、たった一つの窓口だったこともあって、それはそれはにぎわい、日本中からたくさんの人々が集まりました。めずらしい品物を求める商人も集まりました。また、西洋文化を伝えるのは長崎しかありませんでしたので、学問を志す人々もおおぜい集まったのです。
そういうさまざまなものを日本国内に伝える街道として、日見峠を越え矢上方面に行く「長崎街道」がありました。ところがもう一つ、西坂から浦上、時津をへて、彼杵(そのぎ)にわたる「時津街道」がありました。
また、幕末の時津街道では、東彼杵で栽培されたお茶が彼杵港から時津に運ばれ、長崎で大浦慶(日本ではじめてお茶を輸出した女性貿易商)などの商人を通じて、外国へと輸出されました。
時津街道は、大村湾を見守る「えびす様」のある波止場に始まります。むかしは、この波止場も陸地側にありましたが、長い間に埋め立てが進められ今のようになりました。
1597年2月5日の寒さのきびしい朝のことです。ペトロ神父や少年2人を含む26人の信者たちがくさりにつながれ、素足に血をにじませて、この時津街道を歩いていきました。西坂の丘で、はりつけにされたこの人たちは、後に26聖人と呼ばれました。波止場のえびす様の横に大きな「記念碑」が立っていますが、それは26聖人の上陸を記念したものです。
その記念碑を後にして、広くなった国道を進み、信号を左に曲がると、中通り商店街にでます。この一帯は、「市場(いちば)」とよばれています。むかしはここも海岸であったということで、船をつないでおく「ともづな石」が残されていました。しかし、この石は道路を広げるときに取り除かれ、今は、八幡神社(はちまんじんじゃ)下の植え込みに、保存されています。
八幡神社から右に曲がって進むと長与道との交差点があり、そこに、「道しるべ」が立てられています。その道しるべからすぐに、つたがからんだ石垣があり、今も茶屋(本陣)跡があります。この辺りは、たいへんにぎわっていたそうです。
茶屋(本陣)は、大名や幕府の役人が宿泊したり、休憩をした宿を指します。時津の茶屋(本陣)は、大村藩営のものでした。茶屋(本陣)は、かつて時津が時津街道の宿場であったことを今に伝える重要な建物といえます。
茶屋(本陣)を後にして長崎の方へ向かって進むと国道206号に出ます。横断歩道を渡ってさらに進むと、この付近は「井手園」とよばれ、右手の山の中に時津町のシンボル、「継石坊主(つぎいしぼうず)」が見えます。今にも落ちそうで落ちないこのふしぎな石には、「鯖を売る魚屋が、きっと落ちるに違いないから落ちるまで待とうと、終日立ちつくし、とうとう魚が腐ってしまった」という逸話があり、「さばくさらかし岩」ともよばれ、人々に親しまれています。
徳川時代一世狂歌師として有名な蜀山人、大田南畝(長崎奉行所勘定方)が、長崎在勤中の文化2年(1805年)に時津に遊び、この奇岩を眺めて、「岩角に立ちぬる石をみつつおればになへる魚もさはくちぬべし」とうたったので、一躍有名になりました。
県営アパートを左に見ながら進むと、国道に通じる新しい橋が左手に見えます。この橋は「打坂橋(うちざかばし)」といいます。今、道路は埋め立てられて高くなっていますが、そのころは、谷間の川にとび石が並べられていたそうです。
さて、長崎に向かう最大の難所、打坂越えがいよいよここから始まります。牛や馬に荷をかつがせ、長崎への用向きに出かけた人々が一番困ったのは、牛や馬が急な坂を前にして、なかなか進んでくれなかったことです。そこで、お尻をムチでたたきながら歩かせたということから「打坂」の名がついたと伝えられています。
打坂橋を渡り再び国道に出て、進むと左手にお地蔵さまが立っています。このお地蔵さまは、戦後間もない昭和22年、乗客の命を守るために自らの体を張って車の歯止めとなり殉職したバスの車掌、鬼塚道男さん(当時21歳)の勇気をたたえて建てられました。このお地蔵さまは「愛の地蔵」とよばれ、道ゆく人々の交通安全を静かに見守っています。
さらに国道を登ると市道横尾線との交差点に出ます。そこには、時津町と長崎市の境を示す案内板があり、ここから、滑石(なめし)、岩屋、赤迫(あかさこ)を過ぎ、西坂までの約3里(12キロ)の道のりが、時津街道でした。
このように時津街道には数多くの歴史が刻まれており、昔も今も交通の要衝として利用されています。
時津街道(町PRチラシ) (PDFファイル: 951.1KB)
時津街道(長崎八町企画 平成24年9月9日 長崎新聞掲載) (PDFファイル: 6.1MB)
長崎八町 ~伝えたい故郷の風景~ 巨峰&ワイン(NCC平成25年10月9日放送)
長崎八町 ~伝えたい故郷の風景~ 時津街道(NCC平成25年10月16日放送)
長崎八町 ~伝えたい故郷の風景~ 左底の銭太鼓浮立(NCC平成25年12月18日放送)
長崎八町 ~伝えたい故郷の風景~ 大村湾のナマコ(NCC平成25年12月25日放送)
- この記事に関するお問い合わせ先
-
社会教育課 社会教育係
〒851-2198
長崎県西彼杵郡時津町浦郷274-1
電話番号:095-882-3978(直通)
ファックス番号:095-881-2725
更新日:2019年03月01日